・脱スペック論

脱“スペック偏重”思考のすすめ

「自分にふさわしいと思うものを獲得したくなったら、
どんな店員が出てきても犠牲にはされるまい、という心構えを持って出かけなさい」
ウェイン・W・ダイアー/渡部昇一訳『「頭のいい人」はシンプルに生きる』(三笠書房)より

う~む、商品を販売する立場の人間にとっては非常に厳しいご指摘です…。
調律や修理がメインの仕事ながら、接客する機会の多い私自身も耳が痛いですね。

この著書で語られていたのは、
店員は、あなたを犠牲にしてでも、店の方針や規則に従って商品を販売するであろうということ。
とにかく販売実績を上げなければ会社から給料が支払われない訳ですから、販売スタッフは必死です。

となれば、ピアノの知識をもたないお客様に対して、自社製品の長所他社製品の短所を、
売るためだからと大げさに誇張して説明するようなセールスマンが居ても不思議ではありません。

ここで、購入される皆様に気をつけて頂きたいのは、必ずセールストークの中で語られることになる
ピアノのスペック(部品の材質、造り、設計など)を過度に意識して目的化してしまわないことです
心地よいとタッチ、それを維持するための構成要素としてスペックは位置づけられるもの。
冷静になって落ち着いて考えてみれば、スペックは音楽性豊かなピアノを形成する手段に過ぎません。
(まれにスペック自体に意義を見出すマニアもいらっしゃいますが…)

たとえ、どんなに素晴らしい食材を使用しても、仕上がった料理が必ずしも美味しいとは限りませんよね?
「○○産の○○ですから美味しくない訳がありません」という主張に無理があるのと同じです。 
料理を舌で判断するように、ピアノも音色や弾き心地を感じて楽しむものではないでしょうか。

商品説明を聞いただけで「たぶん良いピアノなんだろう」と信じて購入してしまう方がいらっしゃいます。
逆に「~だから良い!~だから悪い!」と力説する店員に不安を感じて相談が寄せられることもあります。

そこで、よく耳にするセールストークの中から“ピアノのスペック”に焦点を当てて客観的に比較してみましょう。
スペックの違いや特徴については、おそらくピアノ購入を検討されている皆様方の大きな関心事でしょうし、
そのメリットデメリットを充分に理解した上で選んだピアノであれば、きっと有意義な買い物となるはずです。

☆POINT
「良いスペック=良いピアノといった理屈は、売り手の思考プロセス。
 好みの音・タッチを選んでからスペックを検証するのが、上手な買い手の思考プロセス。
 店員の“販売テクニック”に惑わされないように、ピアノを判断する“目と耳”を養いましょう」

①木製VS金属製 ~アクションレールを比較~

アクションレールは内部のアクション機構の“背骨”ともいえる存在。
各部品が取り付けられる土台となるため僅かな変化でも音やタッチに関わってきます。従って経年変化しない造りが特に求められる箇所。ここではアップライトピアノのレールの材質を取り上げます。

まずは、ひと昔前まで主流だった木製アクションレールです。
長い年月を経てもレールが反ったり、ねじれたりしないようメーカーは充分な乾燥処理を施さなければならず、ユーザーとしても納品した後適切な温度湿度の管理が問われるデリケートな造りになります。

次は、もはや定番化しているアルミ(金属)製アクションレール
工業力のあるメーカーにとって均質に効率的に生産できる上、木材と違って温度湿度の変化に強いことがメリットとして挙げられます。

調律師からすると、狂いのない金属製レールはありがたいのですが、錆付いたネジがレール内部で折れたときや、ネジ穴が緩くなって修理が必要なときには、加工作業の容易な木製の方が助けられることも。

最後は参考までに最近のスタインウェイK型のレールをご覧下さい。
バームクーヘンのように薄い板を積層にした素材を用いています。
さらにはレールの下部にも金属製のレールをあてがっていますので、木製、金属製の長所を合わせたハイブリッドな造りと言えます。

材質の違いが音にも影響すると説明する営業マンもいますが、弾き手の立場では好みの音であればどちらでも構わないと思います。
木製にしてもアルミ製にしても、弾きやすく響きの豊かなピアノが気持ち良いことに変わりはないのですから。

※木製レールが使用されている安価なピアノに関しては、木材の乾燥が甘い可能性がありますので、購入時には念のためにご確認を。
昔のアクションレールは木製でした。
今のアクションレールはアルミ製が普通。
スタインウェイK型のレンナー社製レール。
レール下部にある金属板に気付きますか?

②木製VSプラスチック製 ~アクションパーツを比較~

よく話題になるのがピアノ内部のアクションに使用されるプラスチック素材の是非について。以前は木材を加工して作られていた部品が、均一に生産できるプラスチック製に代替される時代になりました。
これも一般ユーザーにとって気になる相違点ではないでしょうか。

「湿気の影響ですぐにタッチが重くなって音が出なくなりますよ」とは木製部品を使用しているピアノを扱う営業マンが、プラスチック部品を採用しているピアノを否定するときのセールストークです。

こうしたアクション・鍵盤の動作不良をスティックと言うのですが、実は木製であっても多湿な環境ならば普通に起こり得ます。シーズニングが手抜きの木材であれば尚更です。同じ条件のもと、複数のピアノで実験でもしない限り、その優劣については何とも言い難いですね。

このスティック、ピアノを置いている部屋の湿度管理を徹底すれば、ある程度予防できますし、もし発生したとしても比較的やさしい修理で済む問題です。もちろん不具合の数が多いと面倒なのですが…。

ですから、私はプラスチック素材を特別に酷評も推奨もしません。
木を見て森を見ずとならないように、材質のみならず設計や調整等を含めたトータルでの弾き心地をご判断頂けたらと思います。

※素材に関係なく新品のピアノでもスティックはよくある症状です。
しばらく動きが馴染むまでは辛抱強く調律師に直して貰いましょう。
カワイSKシリーズのグランドピアノ・アクション模型。黒い部品はカーボン入りABS樹脂製。
で問題箇所を拡大。回転軸を包む赤いクロスが湿気で膨らむと円滑な動きの妨げに…。
スタインウェイのグランドピアノ・アクション模型。“違い”を観察してみて下さい。

③無垢材VS合板VS木質ボード ~ピアノのケース素材を比較~

次は、ピアノの鍵盤蓋、屋根、パネルといった外装の木材について。
木材にこだわりある人からすれば、無垢材の方が良いと思うでしょうが、もし木材を乾燥させる工程に不備があったり、納品後のユーザーの管理状態が悪ければ、将来的に木材の収縮から割れ、反り等の支障をきたす恐れがあります。

一方、
合板
は、薄くスライスした板を木目方向が互い違いになるように重ね貼りした木材。無垢材にみられるような変形はありません。
ご覧の通り、スタインウェイGPの屋根ともなると、選び抜いた木材を貼り合わせています。安物の合板とは音の響きが違うのでしょうか。

また最近は木質ボード(MDF材)と呼ばれる木屑を接着剤で固めた板材を使用するピアノが増えています。均質で加工しやすく、コストも安いので生産側にとって好都合です。ただ、長い目で見たときの耐久性はどうなのか、10年20年後の状態が気になるところです。

木材の特徴を知ることは、ピアノを選ぶ良き判断材料になります。
しかし、気をつけるべきは素材選びだけが全てではないということ。

実際に聴こえる音はどうか、長期的に見た場合どうだろうか、金額に見合う買い物と思えるか、自分の好みや条件と照らし合わせながら、あまり近視眼的にならず俯瞰的にアプローチしてみましょう。

(…店員が無垢材をやたら推すけどシーズニングは大丈夫?)
(…合板だから、どちらかというと工業的に作られているピアノだな)
(…値段が安いのはMDF材を多用しているからか…)

そう冷静に分析していけば、ご自身の結論にも納得がいくのでは。
大切なのは、どの素材が優れているか云々よりも、各素材の特徴を知っておくこと。そうすれば無知による後悔を回避できますよね。
値段がどうして高いのかor安いのか、価値をきちんと理解して選んだピアノならば、あなたにとって満足度の高い買い物となるはずです。

スタインウェイの塗装の下はこんな感じです。
鍵盤・アクションを載せる「棚板」が木質ボード。ちなみにヨーロッパ製のアップライトピアノです。
こちらは日本メーカーによる廉価ピアノの棚板。下から覗くと一目瞭然。触感でも分かります。

④外国製ハンマーVS国産ハンマー ~ハンマーを比較~

弦を直接叩いて音を鳴らすハンマー音質に関わる大切な部品。
ウッドに巻かれたフェルトの硬さによって、音やタッチの質感までもが変わるのですが、一般ユーザーにはあまり知られていません。
カンカンと派手な音、モコモコした円やかな音、こうした音質の違いは実はハンマーフェルトが“硬い”か“柔らかいか”によるものなのです。

ヨーロッパ製の代表格は独レンナースタインウェイをはじめ一流ピアノメーカーが採用している老舗ブランドです。他にはアベル(独)、ロイヤルジョージ(英)も有名ですね。一方、ヤマハ、カワイなど工業力があるメーカーはハンマーも自社生産する傾向にあります。

メーカーカタログや楽器店のHPには“○○製ハンマー使用”と謳っているものが多く、それをひとつ目安にされるお客様もいます。
ここで申し上げたいのは、ハンマーのブランドが“楽器の評価”に直結する訳ではないということ。どんなハンマーであっても技術者の手による整音というハンマーの硬さを調整する作業が加わるからです。

右の画像は某ドイツ製ピアノのハンマーを整音しているシーンです。
新しいフェルトは硬く圧縮されているため、このままではまるで金づちで叩いたような音とタッチ。とても演奏できる状態ではありません。
そこで、先端に針の付いたピッカーという工具を使ってフェルト部分をグサグサ刺して、ハンマーに弾力性あるクッションをもたせます。
そうするとフェルトの繊維が膨れ上がって形が崩れてくるので、この後ペーパーやすり等でシンメトリーに削ってやっと第一段階が終了。
ここから全ての音質がきれいに揃うまで、技術者はフェルトに対して、針を刺し加えたり、やすりで削ったり、液体の硬化剤で固めたり、
1音1音を確認しながら微妙な調整を繰り返すことになります。
強烈なfffから繊細なpppまで表現可能なハンマーが完成するには、こうした気の遠くなる手間がかけられる事実を知っておきましょう。
有名なハンマーを使うだけではピアノは“楽器”にならないのです。


ですから、もし音楽的にピアノを考えるならば、ハンマーが外国製か日本製であるかよりも、手作業で行われる整音がもつ意味合いの方が遥かに重要です。整音なくしてハンマーを語ることは出来ません。
はたして音の強弱がコントロールしやすい状態に仕上がっているか、
ブランドではなく音やタッチからハンマーの感触を確かめましょう!
左から スタインウェイ ヤマハ カワイ
左から レンナー アベル ロイヤルジョージ
88個全てのフェルトに対して針刺し、ファイリング(整形作業)を実施。まずは発音の土台作り。
普段は人目に触れないアクション&ハンマー。丹精込めた整音がピアノに魂を注入します。